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東京地方裁判所 平成3年(ヨ)2290号 決定

債権者

中山緑朗

右訴訟代理人弁護士

佐藤義行

後藤正幸

金丸精孝

宇佐見方宏

大塚尚宏

債務者

学校法人昭和女子大学

右代表者理事

人見楠郎

右訴訟代理人弁護士

阿部隆彦

主文

一  債務者は、債権者に対し金一二〇万円及び平成四年二月以降平成五年一月まで毎月二一日限り金六〇万円を仮に支払え。

二  債権者のその余の申立てを却下する。

三  申立費用は債務者の負担とする。

事実及び理由

第一申立て

一  債権者が債務者の従業員(債務者設置にかかる昭和女子大学短期大学部教授)たる地位にあることを仮に定める。

二  債務者は、債権者に対し平成三年九月二一日以降毎月二一日限り、金六一万九〇〇〇円を仮に支払え。

第二当裁判所の判断

一  当事者間に争いのない事実及び本件疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。

1  債務者は、私立学校法第三条に規定する学校法人であり学校教育法所定の小学校・中学校・高等学校・短期大学・大学及び幼稚園を設置している。

債権者は、昭和五二年四月一日債務者が設置する昭和女子大学短期大学部国文科専任講師として採用され、昭和五六年四月一日短期大学部助教授に、平成二年四月一日同教授にそれぞれ任用され、本務である学生の研究と教育を指導し、研究に従事していた者である。

2  債権者は、同じ科の助教授と学生に対する指導上の意見に相違を生じ、このことにつき右助教授から債務者の学長である人見楠郎(以下「人見学長」という。)に対し債権者に非がある旨の報告がなされたため、平成三年一月二三日に人見学長から呼び出され、学生部長、教授一名、助教授二名(前記助教授を含む)が同席した席上で〈1〉学生指導をめぐり対立した際、前記助教授を怒鳴った、〈2〉大学入試センター試験の翌日二講時目に無断休講した、〈3〉国語国文学科研究誌第二号の平成元年度内未発行と予算の執行に関して校務上の書類を偽って作成した、〈4〉国語国文科年度予算の申請と物品購入を債権者が独断で行っていた、〈5〉平成元年度地方入試での会場設営の一部変更を債権者が独断で実施した、〈6〉地方入試の夕食会を債権者が独断で強引に取りまとめた、〈7〉地方入試の出張者の決定について債権者が決定権を行使している、〈8〉学生指導委員会の審議事項の学科への報告を怠っていた、〈9〉年度始めガイダンス期間中の学生指導委員としての説明が不十分であった、〈10〉近代文学非常勤講師の採用、不採用に関して債権者が越権行為をした、〈11〉学科の運営と科会の開催につき債権者が独断で牛耳っていたとの各事項につき、同日午後四時から午後九時ころまでの間、査問を受け、教授の地位を剥奪する等と言われた。債権者は右問題とされた事項はいずれも事実無根あるいは不当な言い掛かりであると考えたが、その場では十分な弁明の機会を与えられなかった。

3  債権者は、右査問の数日後、赤松学科長から人見学長に謝罪するよう言われたが、右査問で問題とされた事項はすべて債権者を陥れるための言い掛かりであるので謝罪する必要性がないとしてこれに応じなかった。その際、赤松学科長は、債権者を教育現場ではない近代文化研究所へ配置転換する旨を示唆した。さらに、同年二月二〇日、松本学監(当時)は、債権者に対し、まだ若いし先があるのだから謝罪しないと大変なことになる旨告げた。このため債権者は、人見学長の意向により退職に追い込まれる事態を避けるため、不本意であるが謝罪することを決意し、同日人見学長との面会を学長秘書に申し込んだが、学長に伝えられず面会できなかった。

債権者は、同月二七日の教授会の後人見学長に対し面会時間の確保を申し入れると共に、前記松本学監の助言に基づき作成した「詫び状」を提出しようとしたが、受取りを拒否された。

4  人見学長は、同年三月四日に債権者を呼び出し、債権者が債務者の卒業生教員にいじめられているとの噂話を流していると非難したが、債権者は何人かの同僚に「批判を浴びている」とは言ったが「いじめられている」とは言っていないと釈明した。右面談後、債務者は、債権者に来期は一切授業を持たせず、休職させると通告した。

人見学長は、同月九日に再び債権者を呼び出し、「相互諒解事項」(債務者の職員が雇用契約前にその遵守を誓約することを要求される一一項目の事項で、その第七項は次のように定めている。「左記に該当する場合は、本学園教職員としての資格喪失者と指定しますから、呉々もこのような事柄の発生せぬよう努めてください。(1) 理事長・学長・学校長・園長・学院長等の指示命令を実行しないとき、または、教授会・教育会議・職員会議等の決定を実行しないとき。(2) 学生指導について本学教職員としての適切な指導を欠いたとき。(3) 本学理事会の指導方針と指導方法に対して異議を唱える団体及び類似の団体に加入し、またはかかる個人との謀議に加わり、または実際行動を行ったとき。(4) 本学に関して、または本学教職員に関して、事実に反することを当人不在のところで公表したとき。もしこの事実があった時は、当人の承諾を得た上で、同一条件の席上または紙上において、本人の責任ある署名をもって訂正されない限り、本人の責任は消滅しません。(5)(省略)」)を示して、債権者は卒業生教員にいじめられているとの噂話を流していることで右相互諒解事項に違反しており既に籍がないことは承知のはずである、勤めを続けたいのなら、それなりの文書を提出しろと要求した。

5  債権者は、前記3記載のとおり、同年二月二七日に提出しようとした「詫び状」の受取りを拒否されたことがあったので、本気で謝罪している姿勢を見せるため反省の色が最も強く出る文書にしたほうが良いと判断して、実際には退職する意思はなく勤務継続の意思を有していたが、「退職願」を作成し、同年三月一二日に呼び出しを受けた際、これを人見学長に提出した。右「退職願」には、前記査問等で問題とされた事項に対する反省文言に続いて「わたくしの身分につきましてはすべてのご判断は学長先生に委ねたいと存じますが、わたくしは退職することがわたくしの採るべき道と考えますので、お認め下さいますようお願い申し上げます。」と記載されていた。債権者は、人見学長の要求に従い、その場で退職願を読み上げた。その際、同席していた飯塚学生部長から「このまま本当に退職してしまうのか。」「汚名を取り除くために今後も勤務する意思があるのか。」との質問があったため、債権者は、「何としても汚名を挽回するために勤務の機会を与えてほしい。」と述べた。これに対し、人見学長は、「よし」と言いながらうなずき、すぐに立ち上って部屋を立ち去る際、債権者に対し「慎重に行動しなさいよ。」と言った。

松本学監は、右面会の後、赤松学科長を通じて、債権者に対し、「謝り方が下手だ。」との意見を伝えた。

6  債権者は、同年三月三〇日、松本学監及び赤松学科長の指示に従い、人見学長に来期も勤務したいと直接申し入れた。同日、債権者は、赤松学科長から、同年四月一日から暫くの間有給休暇願いを提出して自宅にいるよう指示を受けたので、これに従っていた。この間、債権者の妻は、同月一四日到達の手紙で、松本副学長に対し、債権者が債務者の教員として働く意思を有しているので一日も早く職場に復帰させてほしい旨を伝えた。また、債権者は、同月二六日付けの手紙で、人見学長に対し、債権者が他に職場を求めることは考えておらず、職場復帰をさせてほしい旨を述べた。

7  松本副学長(四月から昇格)は、債権者に対し、同年四月一六日、債権者を図書館調査研究員とし、一年ないし二年後に退職する取扱いを示唆し、同年五月二日にも、債権者を図書館調査研究員へ配転すること、一年後に退職することを提案した。さらに同副学長は、同月一五日に債権者に対し、〈1〉同年三月三一日付けで前記「退職願」を受理していること、〈2〉学科の研究誌が未発行で校務上の書類に偽りがあり服務規程五四条(6)号(次の各号に該当したときは、戒告または情況により諭旨退職とすることができる。(6)校務上の書類に偽りのあったとき)に該当することを理由に、債権者の身分を図書館調査研究員として同年九月まで児童文学、女性雑誌の歴史的研究を行わせることとし、その後については様子をみて考えることにする旨を述べた。同副学長は、同日人見学長が同席した面談の席上でも同旨のことを述べ、同年五月一七日に債権者が同年九月までの勤務内容を主たる内容とする「念書」に署名捺印すること及び国語国文学科の教師らに「迷惑をかけた。」と謝罪することを条件として図書館に部屋を与えて勤務の条件を整えると述べた。

債権者は、同年五月一七日は体調不良を理由に出頭せず、同月一九日債務者に対し、債務者の同月一五日の前記提案については念書を書くよう要求されていること等を理由にしばらく考えさせてほしいと伝えた。そして、債権者は、同月二三日付け書面で債務者に対し、右退職願を提出した真意は「退職願」という最も反省の強い表題により身を人見学長に委ねる意思を表明することによって、退職することなく今後も引き続き勤務を継続することにあり、その意思は「退職願」を提出した際に債権者が表明したことにより同学長も知っているはずであること、それにもかかわらず債務者からは同年九月に退職する旨の念書を差し出すように求める等債権者の意思に反する指示が続いていること、早急に謹慎を解いてもらいたいこと等を述べた。

8  債務者は、債権者に対し同年四月及び五月分の給与を各支払期日を経過しても支払わなかった。そこで、債権者が、前記の同年五月二三日付け書面で、債務者に対し右各月の賃金を支払うよう求めたところ、債務者は、債権者に対し、同年六月一日付け書面で四月分の賃金を支払う旨通告し、これを債権者の銀行口座に振り込んで支払った。しかし、債務者は右書面において、五月分の賃金については債務者の勤務がない状態が続いたので支給を停止せざるをえない旨を通告し、同年五月分の賃金を支払わない状態が続いた。このため、債権者が同年六月一三日、東京地方裁判所に賃金の支払を求める本案訴訟を提起したところ、債務者は、同月二八日付け書面で、債権者に対し同年五月分及び六月分の賃金を支払う旨通告し、これを債権者の銀行口座に振り込んで支払った。債務者は、右支払にあたって、債務者訴訟代理人を通じ、債権者に対し、同年六月分までの賃金を支払うので同年六月末で債務者を退職するよう求めたが、債権者はこれを拒否した。その後、債務者は同年七月分の賃金については同年七月二三日に、同年八月分の賃金については同年八月二一日に、いずれも債権者の銀行口座に振り込んで支払ったが、同年九月分以降の賃金を支払っていない(債務者は、同年九月分の賃金については、債権者が出頭し退職手続をとれば支払う旨述べている。)。

9  債務者は、同年八月二六日付け書面により、債権者に対し、同年九月末日付けで債務者を退職してもらうことに決定した旨を通知した。

二  債務者は、債権者の平成三年三月一二日付けの退職願を同年五月一五日に受理することにより退職の合意が成立し、右合意に基づき同年九月末日に退職を発令したものである旨主張する。しかしながら、右認定事実によれば、債権者は反省の意を強調する意味で退職願を提出したもので実際に退職する意思を有していなかったものである。そして、右退職願は勤務継続の意思があるならばそれなりの文書を用意せよとの人見学長の指示に従い提出されたものであること、債権者は右退職願を提出した際に人見学長らに勤務継続の意思があることを表明していること等の事実によれば、債務者は債権者に退職の意思がなく右退職願による退職の意思表示が債権者の真意に基づくものではないことを知っていたものと推認することができる。そうすると債権者の退職の意思表示は心裡留保により無効であるから(民法九三条ただし書)、債務者がこれに対し承諾の意思表示をしても退職の合意は成立せず、債権者の退職の効果は生じないものというべきである。

したがって、債権者は債務者の従業員たる地位及び賃金請求権(債権者が毎月二一日に固定的賃金として金六六万七〇〇〇円―ただし、内金四万八〇〇〇円は規定以上の講義を命じられたことによる手当―を支給されていたことは当事者に争いがない。)を有する。

三  保全の必要性

本件疎明資料によれば、債権者は、妻、子三名(一九歳、一八歳、一五歳)及び養母を扶養しており、債務者から得る賃金を唯一の生計の手段としてきたことが一応認められる。そうすると、債権者には賃金の仮払いの必要性があるところ、本件疎明資料によって一応認められる諸般の事情を考慮すると月額六〇万円の範囲で平成三年一二月から平成五年一月までの間に限り仮払いを命じる限度で保全の必要性があると認めるのが相当である。債権者は地位保全の申立てもしているが、右のとおり賃金仮払いを命ずる以上に地位保全を命ずる必要性を認めるに足りる疎明はない。

四  よって、本件仮処分申立ては主文第一項の限度で理由があるからこれを認容し、その余の申立ては失当として却下することとする。

(裁判官 阿部正幸)

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